親父は、50歳で亡くなった。
気づけば、僕はその年齢に近づいている。
このブログを書こうと思ったのも、
もしかするとその影響があるのかもしれない。
“死”というものが、急に現実味を帯びてきた。
思い出は、多くない
親父は、兄弟で大工をしていた。
兄は表に立たず、
弟である父が営業から設計、現場まで仕事のほとんどを担っていた。
毎日忙しそうにしている姿しか、正直あまり覚えていない。
休みの日も、
龍や亀、鶴やお面などの彫り物の練習をしていた。
一緒に遊んだ記憶は、
爆竹で遊んだ、たった一度だけだ。
寂しかったかと聞かれれば、
たぶん、少し寂しかった。
受け取っているもの
けれど、覚えていることがある。
仕事に対して、ひたすら真っ直ぐだったこと。
無口だけれど、最後までやり抜く人だったこと。
子ども心に、誇らしかった。
今、自分が家の柱であろうとするのも、
どこかであの背中を追っているからかもしれない。
家族とのイベントを大事にしているのは、
自分に親との思い出が少なかったからだろう。
寂しさは、形を変えて受け継がれる。
そして、自分の代で少しだけ書き換えようとしている。
父を失った家族
母にとって、
早くにパートナーと死別するというのは、
どれほど辛いことだったのだろう。
その後の長い孤独な時間を、
どんな思いで過ごしてきたのか。
僕には、きっと想像しきれない。
そして、
妹と僕にとっても同じだ。
早くに父の存在を失ったことが、
その後の生き方に少なからず影響しているのかもしれない。
妹が彼氏本人より、その家族と仲良くなる傾向があるのは、
父の面影を無意識に探しているからかもしれない。
本当のところは分からない。
でも、家族の形は、
失ったものの上に組み直されていくのだと思う。
コート
母を田舎からこちらへ連れてくるため、
実家を整理していたときのこと。
押し入れの奥から、親父のコートが出てきた。
現場に出掛けるときに羽織っていたやつだ。
今は、それを僕が通勤で着ている。
袖を通すたびに、
言葉少なだった背中を思い出す。
思い出は少ない。
けれど、確かに受け取っているものがある。
喫茶店でコーヒーを飲みながら思う。
50歳で止まった人生と、
50代から整え始めた自分。
もし親父が今の僕を見たら、
何と言うだろうか。
「忙しすぎるな」と笑うだろうか。
それとも「家族を大事にしろ」と言うだろうか。
分からない。
でも、あの真っ直ぐな背中だけは、
これからも追い続けるのだと思う。

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